見終えたドラマが気に入って、時間がたっても記憶から離れずいろいろ考えてしまうけど、そういう時はやはり感想を書かずにはいられない。最近見た「世界のどこにもいない優しい男」(以下、『優しい男』)そして、見終えてすぐまた再び見た…その感想を書きたいと思う。
まず、私はどっちかというと、メロとかよりはラブコメが好きな方だ…といつも自分に言う(笑)
「いつもラブコメばっかり見てる自分は、なんでメロが好みじゃないと決め付けられるのかな」とたまに自問するけど、振り返ってみれば、私メロにチャンスを全く与えていない訳ではないことがわかった。
結構前に、エジプトの国営テレビで放送された「冬のソナタ」、「秋の童話」と「チャングムの誓い」が初めて見た韓国ドラマだった。全部メロでしょ!(時代劇もあるし)。それからその後、インターネットで自ら選んで見たけどあまり好きにはならなかった「夏の香り」もメロだったしね。ヒュン・ビンにハマってた頃に見た「雪の女王」も“印象的”という言葉の間逆って言えるほど、もうほとんど覚えてないけど、見ていた間もとてもつまらないことだけはよく覚えてる。
問題はそうだね、冬のソナタも、秋の童話も、夏の香りも、雪の女王も、みんなかなり似た題材を巡って切ない恋物語を描いていたのだから、私は無意識ながら韓国のメロドラマは全部そういう陳腐な展開だらけなんだろと一般化してしまってたのかもしれないな。
その韓国のメロドラマによく使われる要素なんだが、次のが挙げられる:
- 病気(慢性的なものも、事故によって出来たものも含めて)でその病気はいつもバッチりのタイミングで悪化したり深刻化したりする。
- 記憶喪失(みんな事故っちゃうと決まって記憶を失うけど、どうも飲み込めない展開だった)それから多くの場合は記憶を失った人が何かの弾みに記憶を取り戻すという展開もある。
- 悪い継母。または悪い義理の姉妹などもあり。シンデレラみたいにね。
- (もちろん)三角関係、愛するが愛されない側もたまにとんでもなくシツコい時がある(大笑)
- それから、子供の頃愛し合っていた二人が別れてしまうが、大人になってから再会し、色んな人に邪魔されながらそれでも愛し合い続けるという典型的かつ単純なラブストーリーはメロで使用されすぎだと言ってもいい程だ。最近はそれを正統派恋愛ドラマという様にさえ呼んだりする。
優しい男の場合、そういう要素を出す前には、視聴者を納得させるような前置きのような説明もし、そういった展開が予想できる伏線も張っておくのだ。例えば、カン・マルの脳内出血は事故後に発生した後遺症であり、手術を後回ししているマルだったので、後に悪化して入院せざるを得なくなるんだろうと予想させる。
理由はどうであれ、メロが好きじゃないと言いつづけてた自分は、いつの間にかそれをマル信じて、メロを避けてほとんどラブコメばかり見てきた。
今回の「優しい男」を見ようと思ったきっかけは、視聴率だった。
視聴率はすべてじゃないと自分は思うけど、かなり好評を得ていたみたいで、それから「トキメキ☆成均館スキャンダル」で出会って私の関心を惹きつけることに成功したソン・ジュンギもこのドラマで抜群の演技を見せ、人気を高めたと色んなサイトで読み、それで見てみようと思った。
今思うと、ドラマのジャンルを考えていれば、見るのをやめていたんだろうから、あまり深く考えずに見てよかったと強く思う。メロだけじゃなく、特に苦手な「復讐劇」がストーリーのメインラインなんだし、あらすじを読んでも引かなくてよかったぁー(笑)
言うまでもないけど、優しい男は間違いなくお気に入り韓ドラのリストに堂々と載っているし、躊躇いなく韓国ドラマのファンにお勧めできるドラマでもある。
本題に入ります(長い前置きだったよな)それではあらすじを…
主人公は、生真面目で頑張り屋の研修中の医大生のカン・マル(24)。報道記者をやっている年上の彼女ハン・ジェヒを子供の頃から愛してきた。病気の妹チョコが唯一の家族。
マルはまだ学生でありながらも、ベテランの医者にも見抜けない症状に気がつき想像されない診断ができる、輝かしい医者としての未来が期待されるような人。
そんな中、ある日突然ジェヒから「マル、助けて。死んじゃったかも。いや、死んでるの!」という一本の電話が入り、高熱を出してた一人妹を置いて彼女の所に駆けつけると、彼女は一人の男を死に至らしめていた。最初には「正当防衛だろ。自首して!過失致死だと認められばすぐに釈放できる」とマルが冷静を装いながらジェヒに言うが、ジェヒは「そんなんじゃ、記者生命は終わりよ。貧乏な生活に戻れというのか!ここまで辿り着けるためにどれほど苦労したと思ってるの!」と反論。諦めてやはり自首しようと決心をしたジェヒが嘆いた「神様は何で私にだけこんなに厳しいんだろうか?」という言葉が彼を刺激し、彼女の現場での指紋を拭きながら「俺がやったんだ、あなたは関係ない」と前だけを向いて生きるように彼女を励ますマル。「一生をかけてこの借りを必ず返すから」とマルを抱きしめて逃げるジェヒ。マルは警察に電話をする。結果は懲役5年の実刑を言い渡される。
6年間を早送り、彼が出所してから一年が立った頃、
自分の人生を犠牲にしてまで愛する人を守った、優しく純情なカン・マルはどこかへ消えていた。お金持ちの女性を騙し、お金を巻き上げる詐欺師(ツバメ?)として人生を送っていた。ジゴロをやって設けた金は全部妹の病気の治療費として使っていた、どこかまだ優しさが残っているマル(笑)。
そういうところに、財閥の社長と結婚して贅沢な人生を送っていたジェヒと再開してしまう。マルはそんな彼女を諦めて、自分の未練に終止符を付けようと「終わり」だと自分にそう呟く。しかし、あることがきっかけで彼は彼女を強く憎み、彼女がいる華やかな社会から彼女を陥れ元のどん底に戻してやると、復讐を決心する。ジェヒが結婚した相手の連れ子、ジェヒとはたった五歳の年齢差というソ・ウンギを利用して、復讐を果たそうとする。
メロがあまり好きじゃない私はどうして優しい男にハマったのかという質問なんだが、
客観的に考えれば、優しい男は“典型的”と名づけられる韓国のメロドラマに該当しないとは言い難い。不倫もあれば、悪い継母もある。事故による病気もあれば、伝家の宝刀の記憶喪失もある。しかし、そんなありきたりな要素そのものがそもそもそういう韓国ドラマにおける問題ではないと思われる。むしろそういった要素までの展開に真の問題が潜んでいるのだ。
例えば、ドラマの主人公の人生がスムーズに行っていると思いきや、自分が慢性的な病を患ってるとの診断結果を聞かされ、しかも余命わずかだと告げられる。決して非現実的だとは言わないが、やはりそういう展開をドラマで見ると、頭をよぎる考えはただ一つ…ストーリーで行き詰まりに直面してしまった脚本家は、視聴者の集中が引けるような刺激的なプロットをとにかく作りたかったんだろうなぁと。多くの場合はそれがストーリーのためではなく、あくまでもドラマの台本を書き続けるための手段としかない。
復讐自体もよく使われるテーマなんだが、優しい男の場合は、復讐の手段に意義があっても、復讐の動機やきっかけにはある程度納得できる。優しい男の簡単なあらましを読めば、彼女のために泥を被った彼が出所したら → 彼女が自分を捨てて結婚していた → 裏切られたと感じ → 腹が立って「復讐してやる」になった … と単純なパターンだと誤解するかもしれないけど、決してそうではない。マルは他の男と結婚したジェヒのことを一生懸命忘れようとしていたその時に、地位や名誉を守るためジェヒは後足に砂をかけるように無実のマルを脅迫罪で訴えてしまう、しかもめっちゃ挑発的な捨て台詞を残して…やはり優しさにも程があるよな…とまぁ、復讐に100%同感はできなくても、悪役になろうとしている主人公に少しでも感情移入ができる、せめて私はそうだったけど。
キャラクターなんだが、最初回の頭から、色々些細な出来事でカン・マルはどんな人か悟れられる、いわゆる“心理描写”はある程度上手く出来ていた。まだ医学生なのに、回診をしている医者の後についてだけじゃ物足りないと感じ、自分の意見を聞かれたい、質問をかけてきて欲しいと自信満々で申し出る彼はやはり、頑張り屋で自信家で、歯に衣着せぬところは多少あっても無礼に触れる程のものでもないと感じ取れる。彼の優しさも、高い病院費が払えないからと病気にもかかわらず病室を飛び出そうとする小さい男の子に迷いもなく「お兄さんが払うから落ち着け!」と言うし、急に吐き出してきた男の子の口の下にすぐに手を伸ばすその仕草も彼の深い思いやりの現れ。
一方の女主人公のソ・ウンギは、初めて登場するシーンから、怖いもの無しのちょっと傲慢で毒舌で、仕事が第一の男勝りなところのある女性だと分かる。
しかしながら、早々からすべての人物が鮮明に描かれたわけでもない、人格描写がかなり乏しく感じたキャラクターもあった、重要人物で他でもなく復讐の目的のハン・ジェヒだ。しかし、それは回が重なれば重なるほど自然と見ている人それぞれ自分なりの人像を描き始めるように、想像が多々に出来る自由なキャラクターだと感じる。不明なところがある分、ある意味奥の深い人物だと言える。
マルとウンギは全然別世界に住んでいて性格もかなり異なるが、二人とも自分が以前愛した人のために自分を犠牲にして罪の身代わりになってやったという接点があり、やはり少し似た者同士だと思わせるところもまた良かった。
ほとんどの韓ドラの最初回は突っ込みどころ満載だけど、その原因には視聴者を引き付けるためにある程度の展開を施さないとダメなんだから。つまり一時間のエピソードでいわゆる英語でいうCliff hangerらしい場面で終わらせないと見ている人は次回が見たくて仕方がないって効果が生み出せない。優しい男の最初回にも少し「ん?」ってなるところ生憎あった。を殺して、過失致死だと言っても5年は軽すぎないか?、5年で済む罪ならみんな人殺しになっていたんだよ! 後はもちろんその前に、殺人という重罪にそんな簡単に身代わりになれるか?現場調査は?動機調べなどのための事情聴取は?まぁドラマだからそれはそういうことにしておこうと。
復讐自体もよく使われるテーマなんだが、優しい男の場合は、復讐の手段に意義があっても、復讐の動機やきっかけにはある程度納得できる。優しい男の簡単なあらましを読めば、彼女のために泥を被った彼が出所したら → 彼女が自分を捨てて結婚していた → 裏切られたと感じ → 腹が立って「復讐してやる」になった … と単純なパターンだと誤解するかもしれないけど、決してそうではない。マルは他の男と結婚したジェヒのことを一生懸命忘れようとしていたその時に、地位や名誉を守るためジェヒは後足に砂をかけるように無実のマルを脅迫罪で訴えてしまう、しかもめっちゃ挑発的な捨て台詞を残して…やはり優しさにも程があるよな…とまぁ、復讐に100%同感はできなくても、悪役になろうとしている主人公に少しでも感情移入ができる、せめて私はそうだったけど。
キャラクターなんだが、最初回の頭から、色々些細な出来事でカン・マルはどんな人か悟れられる、いわゆる“心理描写”はある程度上手く出来ていた。まだ医学生なのに、回診をしている医者の後についてだけじゃ物足りないと感じ、自分の意見を聞かれたい、質問をかけてきて欲しいと自信満々で申し出る彼はやはり、頑張り屋で自信家で、歯に衣着せぬところは多少あっても無礼に触れる程のものでもないと感じ取れる。彼の優しさも、高い病院費が払えないからと病気にもかかわらず病室を飛び出そうとする小さい男の子に迷いもなく「お兄さんが払うから落ち着け!」と言うし、急に吐き出してきた男の子の口の下にすぐに手を伸ばすその仕草も彼の深い思いやりの現れ。
一方の女主人公のソ・ウンギは、初めて登場するシーンから、怖いもの無しのちょっと傲慢で毒舌で、仕事が第一の男勝りなところのある女性だと分かる。
しかしながら、早々からすべての人物が鮮明に描かれたわけでもない、人格描写がかなり乏しく感じたキャラクターもあった、重要人物で他でもなく復讐の目的のハン・ジェヒだ。しかし、それは回が重なれば重なるほど自然と見ている人それぞれ自分なりの人像を描き始めるように、想像が多々に出来る自由なキャラクターだと感じる。不明なところがある分、ある意味奥の深い人物だと言える。
マルとウンギは全然別世界に住んでいて性格もかなり異なるが、二人とも自分が以前愛した人のために自分を犠牲にして罪の身代わりになってやったという接点があり、やはり少し似た者同士だと思わせるところもまた良かった。
ほとんどの韓ドラの最初回は突っ込みどころ満載だけど、その原因には視聴者を引き付けるためにある程度の展開を施さないとダメなんだから。つまり一時間のエピソードでいわゆる英語でいうCliff hangerらしい場面で終わらせないと見ている人は次回が見たくて仕方がないって効果が生み出せない。優しい男の最初回にも少し「ん?」ってなるところ生憎あった。を殺して、過失致死だと言っても5年は軽すぎないか?、5年で済む罪ならみんな人殺しになっていたんだよ! 後はもちろんその前に、殺人という重罪にそんな簡単に身代わりになれるか?現場調査は?動機調べなどのための事情聴取は?まぁドラマだからそれはそういうことにしておこうと。
もう一つこのドラマにおけるちょっと話題になっていた一件はなんとタイトルだった。
ドラマの韓国題名は:「세상 어디에도 없는 착한남자」(発音は:セサン オディエドオンヌン チャカンナムジャ)邦訳は:「世界どこにもいない優しい/善い男」
最初の2回でのタイトルでは、「優しい」に当たる韓国語の「착한」は同じ発音がする実際に存在しない語「차칸」という表記なっていた。それが政策陣のミスなんかじゃなく、脚本家の意志による選択だった。しかし、それに反対の声が視聴者などから上がり、結局第3話よりタイトル正しい表記にタイトルチェンジ。
なんで脚本家はそのタイトルにこだわったのか?と気になったけど、ドラマを見終えてから少し分かった気がした。実際このタイトルが一回ドラマの中でそのまま登場するけど、記憶を失ったウンギがマルが他にどこにもいない優しい男だと思い込んでいたが、現実はそれとちょっと違う…だから「やさしい」という意味を持つ言葉「착한」を使うよりは、音(見かけ)は同じだが意味(内心)が違う「차칸」に敢てしたんだ。とまぁ、あくまでもそれが自分なりの解釈に過ぎない(笑)。
タイトルにももう一つ魅力的な点がある。それは「世界どこにもいない優しい男」という文には二つの意味合いがあって、「世界どこ行ってもそれほど優しい男がいない」のと「世界どこにも優しい男なんかいない」。どこか日本人が書いた感想を読んで“はげど”だった意見は、邦題もそのまま直訳にして欲しいという。適当に「優しい男」とかに訳したりしたら、せっかくのニュアンスが台無しになるから。
めっちゃ長いレビューになってしまったので(相変わらず)このドラマの一番の見所について話して終わらしたいと思う。
客観的にドラマのストーリーを読む人は「陳腐」や「ありきたり」などと思っても無理はない。しかし、優しい男にはそれを完全に忘れさせる魅力がいくつかある。もちろんいいシナリオ、スムーズで時に美術的な演出、でも何より魅力的だったのは、主演者の芝居の上手さだった。
カン・マルという少し二重人格っぽいちょっと複雑なキャラクターを演じ切っていたソン・ジュンギは、一瞬で表情・目・声 全部を変えてイメージチェンジできる抜群の演技を見せた。
ソ・ウンギも、外は丈夫で男っぽい強さを見せていても、中はとても柔らかく可愛い一面を隠しているというかなり高度な演技が必要なキャラクターなんだが、ムン・チェウォンはそれをとても良く表現できていた。
二人の演技において一押しするなら、ソン・ジュンギの目、ムン・チェウォンの声に集中してみて、一瞬で変わるから!
切ない眼差しから、激怒の睨みへ。
あざ笑いの表情から、挑戦する目に