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日本で短期留学経験ありの日本語が専門のエジプト人です。最近は韓国と韓国語に興味があり、独学を始めました。 An Egyptian majoring in Japanese language, lately I'm interested in Korea and the Korean language so I started self-learning.

2012年12月2日日曜日

湊かなえの「告白」を読んで、中島哲也監督の「告白」を見て


夕べ、湊かなえ(みなとかなえ)のベストセラーミステリーの「告白」を読み終えた。
この小説を読もうと思ったきっかけとなった映画化も、先ほど再視聴し終えたところ。
映画版を先に見て、原作の小説を読もうと思ったのはたぶん初めてだと思う。
初めて映画を見た時の印象はとても良かった証拠は、それ以上にないだろ。

再視聴をしようと思ったのは、映画を見たのは何年も前のことで、小説を読みながら、「あれ?こういうところって映画にあったっけ」とどうしても思い出せなかったところがあって、映画を見て比較してみようと思ったわけ。

原作の小説、それから映画も、分類するならばミステリーに該当する。
 “はてな”を生み出しては、それを全部答える必要はなく、最後に少し不明な点が解決されないまま終わることが許させる、それがミステリーだと私は思う。その点では小説も映画も成功しているといえる。
もちろん、文章で書かれている物語は、全体的に映画より深く感じるのは当たり前だと思う。登場人物の一人一人の心境や心理描写がより豊富。一方の映画は、すべての点を原作と同様に説明はせず、見ている人、それぞれ自分が納得できる解釈ができる余地を与える感じ、それがこの映画の一つの大きな魅力だと個人的に思う。

ベストセラーだったこの小説は結構有名だと思うけど、一応簡単に自分なりのあらすじを要約してみたいと思う。
物語は中学校の1年生の3学期の終業式の日、1B組みの担任 森口悠子(もりぐちゆうこ)はロングホームルームをしている。
終業式の一ヶ月ほど前に、森口先生の4歳の一人娘が死んでいる。プールに浮いていた死体は誤って転落しての水死だと警察が判断したが、森口は自分の娘は事故死ではなく、このクラスの生徒二人に殺されたと分かっていることを生徒に話す。
犯人は二人。本名を言わず、「少年A」と「少年B」と名づけて、事件の真相を語り始める。クラスの生徒誰もが二人の正体が分かるように話す森口は、自分の娘は事故死と警察が判断しているのなら、それを蒸し返すつもりはない、その理由に少年法をあげる。14歳未満の少年は例えどんな犯罪を犯しても、逮捕はされないし、されたとしても死刑にはならない、というその法律は彼らを守ると。
それでも復讐せずにはいられない森口は自分の手で二人に罰を下す決心をする。
自分が犯した罪の重さ、命の大切さを実感させるために、とてつもなく恐ろしいその復讐を発表し、「これで終わります」とホームルームの終わりを告げる。

本来、これが湊かなえのデビュー作である「聖職者」のあらましだが、ミステリー賞第一位を受賞したこの短編ミステリーをを第一章にし、全6章からなる長編ミステリー「告白」に生み変えた。
小説の各章は、それぞれ別の語り部があり、(ただし、森口は、第一章と第6章両方の語りをしている)そのため同じ場面が何度も違う方向や視線から描かれることがしばしばあり、それぞれの語り部がそれぞれ語る話の食い違いによって、「どれが嘘か?どれが本当か?」と読者に疑問を持たせる…その複雑かつ特殊な章の構成はこの小説の特徴の一つであり、気に入った点でもある。

前にも何冊か日本の小説は呼んだことがある。その内ミステリーが2つほどあるが、こんなにも速く読み終えたのは初めてだった。電子書籍で読んだ方が比較的さくさくと読めると思っていたが、前に感想を書いたiBooksで読んだ東野圭吾の「殺人の門」よりずいぶん速く読み切った。スピーディーに読めたのは、ストーリーがとても面白くて、紛らわしく分かりづらい文章もほとんどなくて、書かかれた手紙、遺書も含め、全部が語り口になっているためか、とても読み易かった。仕事の移動中はめまいがするからできるだけ文字とかに集中しないようにするけど、鞄の中に持ってた単行本をついついバスの中で読んじゃうことまであった

原作と映画の相違点はいくつかあるが、肝心な違いは一つだけ感じた。(ネタバレ注意)
森口が実際に血を牛乳に混ぜたかどうかという点。
小説では、森口は実際に桜宮先生から採取した血液を牛乳パックに注射したと思い込んでいたが、桜宮が最期でそれを入れ替えたと告白され、自分の復讐が他でもなく自分の娘の父親によって阻止されたことを不条理だと感じ、さらなる復讐を下そうと計画する。
映画では、血液を採取しているところに、桜宮が目覚め、小説で最期を迎えているときに言った言葉を言って、彼女を止める。血液が手に入れることに失敗した森口は、それでも混ぜたことにしようと、生徒に嘘をつく。
映画のパターンは、新たな復讐に走らせる動機を十分には作っていない、つまり、、ウェルテルを利用し、下村を追い詰めるように仕向けたり、渡辺へのいじめを助長させたり、それから最後に渡辺にかけた罠で達成できた最高の復讐、それら全部の行動はなんだか残酷だと思えるほど、動機不十分に思える。最初から血など混ぜていないのなら、二人の少年が実際に反省したかどうかなんて、ウェルテルの話では判断できないし、血を飲ませたと二人を騙したのが急に復讐にしては十分じゃないと思ったのなら、それもなんだか納得いかない。
もう一つ、あまり肝心ではないけど、渡辺修哉の性格に深く関わる点だと思う。
小説では、渡辺が人殺しになりたがっていた理由が、捨てられた母親にもう一度会いたい、才能を認めて欲しいという願いがあると森口が知ったのは、彼がその事実を語っている自分のウェブサイトで掲載した「母への遺書」(森口曰く“母へのラブレター”)を読んでからになっているけど、映画では、偶然森口をファミレスで見かけた美月に聞かされたという設定になっている。
どうしてそれが修哉の性格に深く関わると思ったかというと、小説で彼は実際母に会おうとしたが、不在のため会えなかったこと、それからその際に知らされた自分の母親の再婚・妊娠のこと、すべてをありのまま遺書に綴り、自分の母への怒りと失望をも表した。
しかし映画では、渡辺は犯罪の動機を説明するために世間に残すあの遺書まで、やはり格好をつけようとして、会いに行ったが敢て会わないことにした。それから自分がこれから実行しようとしている大事件、その動機はただ自分の偉大な才能を母親に認めて欲しいからだと(?)
犯罪者になった自分に関して色々な憶測を立てられるのがまっぴらだと思って、すべてを話そうと動画まで撮ってウェブにアップしたのなら、なんで肝心な動機の部分で嘘をつくの?と突っ込みたくなる。
やっぱり、小説の設定の方が納得でた。まぁ、実行前日にあそこまで詳しく書いてサイトに投稿するなんて、渡辺にしてはちょっと馬鹿だなぁとちょっと違和感を覚えたのも事実だけど…

読んだ小説の中で一番好き(そんな多い訳じゃないけど)、
見た映画のお気に入りリストでかなり上位を占めている、
ミステリーを好む人、そうでもない人、大変お勧めの作品です。もちろん、小説も映画もです。

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